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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1409号 判決

事実

被控訴人(一審原告、勝訴)宮原木材有限会社は訴外間久巳之助が控訴人殖産住宅相互株式会社赤羽支店長名義を以て昭和三十年一月二十五日訴外日本農林株式会社宛振り出した額面金四十六万五千三百九十四円の約束手形一通の所持人であるが、控訴会社の赤羽支店は支店たる実体を具えていたばかりでなく、正式に支店の登記がされていたものであるから、その支店長である間久巳之助は約束手形振出の権限を有していたものであり、仮りに赤羽支店長たる間久に約束手形振出の権限がなかつたとしても、同人は控訴会社のために月掛加入者の募集、申込書の受理のほか、金員収支の事務を取り扱い、同支店で要した光熱費、水道料、消耗品、交通費等の支払に関し控訴会社を代理する権限を有していた。従つて同人のなした本件手形振出行為は、代理権の範囲を超えた行為であるから、控訴会社は民法第百十条によりその責に任ずべきものである、と主張した。

控訴人殖産住宅相互株式会社は、控訴会社赤羽支店長には控訴会社を代理して約束手形を振り出す権限のないのは勿論、民法第百十条の適用を受けるべき基本代理権さえなかつたものである、すなわち、控訴会社赤羽支店には、控訴会社外務員の出入はあつたが内勤社員は支店長たる間久巳之助及び女事務員一人だけであり、赤羽支店長としての職務は、同支店に属する外務員の指揮、監督を行うほか、他の外務員と同様に月掛建築契約申込の勧誘、申込書の受領、その証としての第一回分掛金の受領に限られていたから、営業に関して何ら金銭の支払事務を必要とせず、且つこれを厳重に禁止していたのである。赤羽支店において事実上取り扱つていた支払は、新聞代、水道料、電燈料その他電球、切手等の極く少額の消耗品、近距離の内部的交通費等であつたが、これも、元来本社のなすべき支払を事実上同支店の女子事務員が機械的、使者的に代行していたに過ぎない。このような事実上の支払事務は、控訴会社の基本的営業行為とは毫も関係のないものであるから、要するに控訴会社としては間久巳之助に対して何らの代理権を与えたこともなく、仮りに同人に何らかの代理権があつたとしてもそれは叙上のように些細なものに過ぎないから、民法第百十条所定の基本代理権には当らず、従つて同法条適用の余地はない。また、仮りに間久巳之助に代理権があつたとしても日本農林株式会社の取締役会長たる伊藤英郎は、間久が控訴会社の名を以てする約束手形振出の権限のないこと、及び右約束手形が控訴会社の営業とは何ら関係なく振り出されたものであることを知悉し、被控訴会社もまた右の事情を知つて本件手形の裏書を受けたものであるから、控訴会社に対する被控訴人の請求は失当である、と抗争した。

理由

控訴人殖産住宅相互株式会社は、「控訴会社赤羽支店は商法にいわゆる支店としての実体を備えて居らず、同支店長間久巳之助には控訴会社を代理して約束手形を振り出す権限はなかつた」と主張するので判断するのに、控訴会社が赤羽支店設置の登記をしていることは控訴人の明らかに争わないところであるから、同支店は商法にいわゆる支店の実体を備えているものと推定する。そして間久巳之助が本件約束手形振出当時赤羽支店長であつたことは控訴人の認めるところであるから、間久巳之助は、裁判外の行為については赤羽支店の支配人と同一の権限を有するものと看做される。証拠によれば、控訴会社は加入者から一定の掛金の支払を受け建物を建築の上給付することを主たる営業とする株式会社であることが認められるから、手形行為は固よりその営業に関する行為であり、支店長は当該支店の業務に関しては控訴会社を代理して手形行為をなす権限を有するものである。もつとも、他の証拠によれば、控訴会社の事務分掌規定において、小切手、手形の振出は代表取締役のみがするものとし、赤羽支店のようないわゆる子支店の支店長は、月掛建築契約加入の勧誘、その申込の受理加入申込の証としての第一回掛金の領収、同支店所属外務員の指導監督等の権限を有するのみであつて、月掛建築契約の締結、第二回分以後の月掛金の領収、同支店における社員外務員の任免等の権限を有せず、金銭支払についても少額の日常の経費や消耗品の支払に充てるため月額一万円程度の支出権限があるに過ぎないことを定めていたことが認められるけれども、右のような支店長の代理権に加えた制限は内部的の拘束力を有するにとどまり、対外的にはこれを以て善意の第三者に対抗することはできない。又、右のような制限があるからといつて、赤羽支店が商法にいわゆる支店としての実体を欠くに至るとも認めることはできない。そうして、本件手形の受取人である日本農林株式会社又は所持人である被控訴人において、赤羽支店長の代理権に右のような制限が加えられていることを知つていたことは凡ての証拠を以てしてもこれを認め難いから、日本農林株式会社及び被控訴人は右の点については善意であつたと認めるべきである。

次に、証拠を綜合すると、間久巳之助は昭和三十年一月中自己のために転売による利益を得ようとして日本農林株式会社の代理人伊藤英郎から木材を買い受け、その代金支払のために本件手形外一通の約束手形を振り出したこと、及びその際間久巳之助は控訴会社赤羽支店長名義を以て右各手形を振り出すことを躊躇したが、前記伊藤英郎は、右間久巳之助が控訴会社のためにするのではなく間久自身の利益のために右木材を買い受けるものであることを知りながら、同人に対し「手形は絶対に他に譲渡しないから控訴会社に迷惑のかかるようなことはない。」と申し向け、赤羽支店長間久巳之助名義を以振り出させてこれを受け取つた事実が認められる。右認定の事実によれば、間久巳之助は自己の利益のために支店長の権限を濫用して本件手形外一通の手形を振り出したのであり、日本農林株式会社はその事情を知りながらこれを取得したものである。

そこで、日本農林株式会社から裏書譲渡を受けた被控訴人が悪意であつたかどうかについて判断するのに、証拠を綜合すれば、日本農林株式会社は間久巳之助から受け取つた本件手形以外の手形を白地裏書により訴外株式会社辻忠商店に譲渡したところ、昭和三十年一月三十一日控訴人は三和銀行銀座支店からの問合せにより右手形を辻忠商店が所持していることを知り、調査の結果右手形の外にも本件手形が振り出されており、それが日本農林の手中に在ることも判明したので、控訴人は日本農林に対し本件手形は偽造手形であるから控訴人は責任を負わない旨を通告し、間久巳之助を解雇すると共に、同年二月五日三和銀行銀座支店を通じ、「偽造手形の通知」と題し、「控訴会社元赤羽支店長間久巳之助が手形振出の権限なきに拘らず個人貸借の証として社名を使用した偽造手形を振り出している」旨を記載した印刷物を東京手形交換所加盟銀行に配付して通知した事実を認めることができる。被控訴人は、同人が日本農林から本件手形を譲り受けたのは昭和三十年二月十日と主張するのであるから、右「偽造手形の通知」が右手形交換所の加盟銀行に対してなされた当時本件手形はなお日本農林がこれを所持しており、被控訴人はその後これが譲渡を受けたものと認めるのを相当とする。しかし、叙上の事実から被控訴人が間久巳之助の権限濫用の事実を知りながら本件手形を取得したものとは断定し難く、その他本件にあらわれた凡ての証拠を以てしても被控訴人の悪意を認めるに足りない。

以上のとおり認められるから、控訴人の抗弁は、日本農林におてい間久巳之助の権限濫用の事実を知つていたこと及び日本農林と間久との間に手形譲渡禁止の約束があつたという二点を除いてこれを認めるに足りないところ、右の二点についても控訴人において右権限濫用の事実又は譲渡禁止の約束あることを知つていたことを認めるに足る証拠のない本件においては、控訴人は被控訴人に対して手形上の責を負わなければならないというべきである。

よつてこれと趣旨を同じくして仮執行の宣言をした原判決は正当であるから、本件控訴は理由がないとしてこれを棄却した。

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